砂時計が刻む 残された時間
〜北海道の「知」が導く脱炭素社会
砂時計の砂が落ちきる前に、私たちは何を残せるか。
幅﨑浩樹教授は、気候変動という危機に対し、最先端の水素技術研究に加え、工学・経済学・法学をつなぐ対話のハブを創り出そうと連携を築くことに力を注いでいます。
地域社会や金融機関とも協働し、北海道の豊かな資源を活かしたグリーントランスフォーメーション (GX) を加速させようとしています。
北海道大学 大学院工学研究院 応用化学部門
機能材料化学分野 界面電子化学研究室
教授 幅﨑 浩樹

「今ここにある危機」を見据えて
地球規模で進行する気候変動は、もはや遠い未来の予測ではなく、今ここにある危機として 私たちの生活を脅かしています。人類が地球上で生活を続けるためには、二酸化炭素の排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルの達成が絶対条件です。産業革命以降、化石燃料に依存してきた社会構造を根本から変革するGXは、現代を生きる私たちが解決すべき課題といえます。
再生可能エネルギーの潜在的な資源量において、北海道は国内随一のポテンシャルを持っています。この地の利を活かし、 全学的な知を牽引して課題に取り組んでいるのが、北海道大学GX先導研究センター長の幅﨑教授です。自然との共生を図りながらカーボンニュートラルを実現するために、人類に残された時間は決して多くはありません。センターのロゴマークに採用された砂時計のモチーフには、持続可能な社会を次世代へ残すための猶予は限られているという、幅﨑教授の強い危機感が込められています。この活動は、単なる技術開発プロジェクトの枠を超え、砂が落ちきる前に新しい社会システムを構築しなければならないという、時間との戦いでもあるのです。
湯気の向こうに見えた、 エネルギー循環の原風景
幅﨑教授がエネルギーと材料の接点に自らの研究領域を見定めたのは、東北大学金属材料研究所に助手として着任した1988年頃でした。その頃は気候変動に関する政府間パネル(IPCC) が設立されたばかりで、現在ほど脱炭素への社会的要請は高くありませんでした。
幅﨑教授は同研究所で、水素と二酸化炭素を反応させてメタンを作り出す「メタネーション」の研究に着手します。 研究所では、高強度・ 軟磁性・高耐食性という三大特性を有するアモルファス金属の研究が当時精力的に行われており、幅﨑教授もアモルファス金属の触媒 への応用研究を開始したのです。砂漠で太陽光発電を行い、その電力で海水から水素を製造し、さらに二酸化炭素と反応させて運搬可能なメタンに変えるという壮大なエネルギー循環について、当時の研究室の教授とよく議論していたと振り返ります。
幅﨑教授が環境エネルギー分野に強く惹かれた背景には、幼少期を過ごした北海道森町の風景があります。森町は北海道初の地熱発電所が稼働した地であり、温泉熱を利用したビニールハウスで、真冬に真っ赤なトマトが実る光景は日常の一部でした。再生可能エネルギーが社会に溶け込んでいる様子を、幼い頃から自然に目にしていたのだと後に気づいたといいます。こうした原体験が、無理のないエネルギー循環の仕組みを最先端のサイエンスで実現しようとする現在の姿勢につながっています。

ありふれた金属に機能を 吹き込むナノテクノロジー
太陽光や風力といった再生可能エネルギーの課題は、気象条件に左右される変動性にあります。太陽光では夜間は発電できず、風力も風の状況に左右されます。つまり、電気が欲しい時に欲しいだけ作れるとは限らないのです。
現在、幅﨑教授が解決策として取り組んでいるのが、水素を用いたエネルギーの変換と貯蔵に関する技術開発です。水素は燃焼しても二酸化炭素を出さず水に戻るだけで、環境負荷が極めて低いクリーンな燃料となります。幅﨑教授は、水を電気分解して水素を製造するプロセスにおいて、白金のような高価な貴金属を使わずに、鉄やニッケルといった安価でありふれた金属を活用することを選択しました。世界中に技術を普及させるためには、材料の入手しやすさが重要と考えたからです。通常、これらの金属は水中で使用すると腐食したり、性能が低かったりと、扱いにくい素材です。しかし、幅﨑教授らは独自の陽極酸化という手法を用いることで、その弱点を強みへと変えました。これらの金属を酸化させて、ナノ構造を持った酸化膜を形成させたところ、機能性の高い触媒になることを見つけたのです。
水分解において最もエネルギーロスが大きく効率が悪いとされる酸素発生プロセスにおいて、どこにでもある金属の表面をナノレベルで制御するだけで、これまでにない機能を引き出せるようになりました。この発見は、水素製造コストを大幅に下げる可能性があります。
さらに、この技術は水素製造のみならず、次世代の太陽電池や、電力変換のロスを減らすパワーエレクトロニクス用のコンデンサ材料など、GXを支える基盤技術として広がりを見せており、現在、多くの企業との共同研究を通じて、実用化への階段を着実に上っています。

技術と社会の距離を埋める、 対話の場
しかし、優れた技術が存在するだけではGXの実現には至りません。幅﨑教授は、社会実装を阻む課題が山積していることを指摘しています。技術面における大きな課題は触媒の耐久性です。実際のプラントでは10年、20年という長期間にわたり、負荷変動に耐え抜く安定性が求められます。研究室レベルで一時的に高い効率を記録するだけでなく、産業界が求める厳しい信頼性基準に応えるデータを示し続けなければなりません。耐久性の向上が実装への不可欠なステップであると幅﨑教授は考えています。
また、社会構造の側面では、いくつかの課題があります。まず、GXに伴うライフスタイルの転換への抵抗感が根強く存在しています。次に、再生可能エネルギーの導入を巡っては、自然破壊への懸念から地域住民や自治体と事業者間で対立が生まれるケースも少なくありません。さらに、脱炭素化に伴うコスト上昇は、企業経営や家計への直接的な負担となります。
幅﨑教授は、こうした状況を打開するためには、中立な立場である大学が科学的根拠に基づく対話の場を提供し、合意形成のハブになる必要があると考えています。そして、工学、経済学、法学といった専門分野の壁を取り払い、「技術的には可能だが経済的にはどうか」「法規制はどうあるべきか」といった議論を共通言語で行える場を創り始めています。
次世代GXリーダーと共に描く、2050年の景色
再生可能エネルギーを基盤とし、資源の循環によって環境負荷を最小限に抑えながら、経済活動が制約なく発展していく。この未来図を現実のものにするために、研究者は単に新しい知見を生み出すだけでなく、その知を社会へ届け、課題解決へと導くことが今求められていると幅﨑教授は考えています。
そのため、北海道大学GX先導研究センターでは、30代の若手研究者を「GXリーダー」として育成し、2050年のカーボンニュートラル実現まで最前線でリーダーシップを発揮する人材を輩出することに力を注いでいます。専門分野の枠を超えて俯瞰的な視野を持ち、技術と政策の両面から判断できる人材を育てること が、最も確実な未来への投資なのです。
また、教授の視線は学内だけでなく、地域社会全体にも向けられています。金融機関や自治体の担当者に向けたリカレント教育、いわゆる学び直しの場を設け、GXに関する技術的な知見を共有しています。金融の専門家が技術の発展性を見極められるようになれば、適切な投資が行われ、有望な技術が社会に実装されやすくなります。行政に関わる人が最新の科学を理解すれば、より実効性のある政策が立案されます。こうした共創のエコシステムを北海道に根付かせることが大切です。今は産学官が一体となり、長期的な視野で戦略を練り上げ、社会全体でGXに取り組むべき時です。
「北海道の再生可能エネルギーを活かして地域を活性化させたい」と語る教授の言葉には、科学者としての誠実さと、未来を切り拓こうとする決意が込められています。