研究者インタビュー02
准教授 内田 義崇

2025-02-03
  • 研究者インタビュー

地球規模の栄養素循環を考える未来の農業

北海道大学 大学院農学研究院 連携研究部門 連携推進分野 環境生命地球化学研究室
准教授 内田 義崇

 農業は、人間が生きていくために必要な食料の生産に欠かせませんが、一方で、地球環境に大きな影響を与えています。
 農業に必要なエネルギーの生産に伴って排出される二酸化炭素や水田・家畜から発生するメタンガスなどは温室効果ガスであり、農業は地球温暖化に大きく寄与しています。化学肥料の影響で土壌や海の化学組成が変われば、もともと住んでいた動植物が住めなくなるかもしれません。地球環境への影響を抑えつつ、食料を得るためには、どうしたらよいのでしょうか。
 炭素・窒素・水など物質の循環システムの観点から農業を捉え直している内田准教授に、日本における農業の課題とその解決方法の一つである環境再生型農業への取り組みについてお話を伺いました。

農業による環境への負荷の増大と農業危機
―研究者が推進してきた農業のスタイルを見直す―

 農業による環境負荷の増大により、安定した食料供給が危ぶまれています。
 これまでの農業は、食料生産の効率化を目指して行われてきました。その結果、川・海・大気・土壌の汚染、あるいは生物多様性の減少など、環境に対してさまざまな影響が出ています。このまま環境に大きな負荷を与える農業を続けると、その活動によって生じる環境変化によって、食料の生産ができなくなることが予測されています。
 この課題に立ち向かうためには、「これまでの農業に関する研究自体を見直す必要があるのではないか」と内田准教授はいいます。北海道の開拓にあたり、研究者はアメリカ式の畜産などを北海道に合ったやり方として推進してきた歴史があります。そのため、北海道では、酪農や畜産が発展しましたが、新たに家畜糞尿の問題が生じてきました。また、北海道では小麦や野菜が多く栽培されていますが、化学肥料を過剰に使うことで環境への負荷が生じています。このような農業を広めるために、湿地の開拓や河川の整備もさまざまな分野の研究者が共同して実施してきましたが、農業が環境へ及ぼす影響は未だ極めて深刻であり、その影響を減らす研究が広く必要とされています。
 研究者は、日本の農業の向上に向けて、真剣に取り組んできたはずです。しかし、ここ2、30年、食料自給率の低さや若年層の就農率の低さ、農業従事者の高齢化といった課題は変わっておらず、跡継ぎ問題や耕作放棄地の問題が生じてきました。さらに、農業による環境負荷の問題が顕在化してきました。
 この負の連鎖を断ち切りたいという思いが、産業界や地域と協働して研究を進めていく強いモチベーションになっているそうです。そして、動植物に必要な物質である栄養素の循環の研究成果から、栄養素循環のバランスを整えることを一つの柱として、環境負荷を極限まで減らすことができる農業システムを考えていきたいといいます。

栄養素循環の視点からみた農業の課題
―循環のバランスが崩れることの意味を考える―

 栄養素循環のバランスが崩れるとは、どのような状態をいうのでしょうか。
 水の循環の場合、雨が平地や山に降り、川を通って海に流れ、海の水が蒸発して雲となり、また雨が降るという一連のサイクルがあります。ここで、大事な概念がプールとフローです。水の循環の例では、プールは川や海、大気などの水が溜まっている場所、フローは大気から川へ降る雨、川から海への流れ、海から大気への蒸発のように、プールからプールへの水の流れになります。このように物質循環には常にプールとフローがあります。ここで、雨などによって川というプールに入ってくる水の量よりも多くの水を農業に使うために出してしまうと、ゆくゆくは川というプールが枯渇してしまい、農業に使える水の量が制限されてしまいます。
 炭素の場合、プールは土、岩石、植物、動物などです。大気も二酸化炭素ガスの形で炭素のプールとなっています。特に大きなプールは化石燃料です。フローは海の底に沈んだ動植物の死骸がゆっくりと化石燃料になっていく過程になります。また、その化石燃料を掘り出して燃料として使うこともフローです。現在、燃料として化石燃料を使うフローは、化石燃料ができるフローに比べてとても速いので、化石燃料がなくなる可能性がでてきました。一連の循環システムのどこか1か所でもプールが枯渇すると、システム全体に大きな影響が生じてしまいます。
 現在、ゼロカーボンを目指した取り組み、あるいは二酸化炭素の排出量の削減が必要といわれていますが、このプールとフローの考え方を理解していないと意味がないと内田准教授はいいます。木を植えれば化石燃料を使って良いわけではありません。木というプールを増やしても、化石燃料というプールが枯渇してしまえば、化石燃料を使うフローは維持できないからです。

 栄養素循環の視点で問題が起きるのは、プールが無くなる場合だけではありません。
 窒素の最大のプールは大気で、その78%を占める窒素ガスの形で蓄えられています。窒素ガスは化学的に安定なので多くの生物は栄養素として直接利用することができません。この窒素ガスを反応性の高い窒素化合物に変換することを窒素固定と呼びます。地中の細菌の一部は、この窒素ガスをアンモニアに固定します。このアンモニアがいくつかの細菌によって硝酸に変化すると、多くの植物が窒素を利用できるようになります。動物は植物を食べ物として摂取することではじめて窒素を利用できるようになり、タンパク質や一部のビタミンなどを生成します。そして、動物の糞尿や動植物の死骸からは、尿素やアンモニアの形で窒素が排出されます。
 しかし、人工的な窒素固定により化学肥料が作られるようになると、土壌に細菌が固定するよりも多くの窒素化合物が撒かれるようになりました。作物が使いきれない窒素が土壌から流出し、河川や沼沢地や海洋といったプールに蓄積した結果、富栄養化や無酸素化などの環境問題を引き起こすことになりました。1か所のプールに栄養素が集まりすぎても、環境に影響を及ぼす場合があるのです。
 このように、動植物が生きる上で必要な栄養素はそれぞれに循環があり、農業以外の領域にも及ぶため、個々の栄養素の循環を地球規模で考える必要があります。地球上には人間だけでも80億人が暮らしており、栄養素循環のフローはかなりに速くなければならないため、個々のプールの量を適切にコントロールして、循環のバランスを取ることが難しくなっています。環境負荷を抑制したいと考える人は増えていますが、栄養素循環のバランスを取らなければならないことまで深く理解している人はまだまだ少ないようです。

バランスのとれた循環システムをつくるために
―社会に何を評価してもらうか―

 社会全体が「栄養素循環」という考え方を理解し、地球という大きな枠組みで、環境への負荷を減らす農業を行えば、食料危機という課題は解決に向かうはずと内田准教授はいいます。
 1992年の地球サミットをきっかけに、パリ協定やアジェンダ21など、環境に関する条約や宣言が採決され、環境問題は世界全体で取り組むべき課題になりました。そして、商品を売る側も買う側も環境に対して責任を持つ必要がでてきました。持続的な農業や地域活性化への貢献という漠然としたものではなく、どのような基準で商品に責任を持つのかを明確にすべきというのが世界的動向です。
 アメリカのアウトドア企業「パタゴニア」は「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」を経営理念としており、健全な土壌を再生すると同時に、より多くの炭素を土壌に貯留する環境再生型の有機農業に取り組む農家を支援しています。また、スイスのコーヒーメーカー「ネスレ」は、コーヒー豆の農家や販売企業と協働して、コーヒー豆栽培を環境再生型農業へ転換する取り組みを進めています。このように、未来の環境に配慮した活動を、企業価値として重視する流れが続けば、農業を取り巻く流通の仕組みの変革もありうると内田准教授は考えています。
 とは言え、現状では多くの課題があります。例えば、小売業者にとって、150円で売れるのであれば仕入れられる環境に配慮したリンゴがあったとしても、「環境に配慮したリンゴは120円なら買うけれど、150円なら買わない」というマーケット調査の結果があれば、小売業者は環境に配慮したリンゴを販売しないでしょう。これでは、いくら栄養素循環に配慮した農産物を作っても、消費者に届きません。小売業者が、売れることのみを考えるのではなく、ちゃんとした商品しか売らないと消費者に対して宣言し、責任を持つようになることが必要だといいます。
 また、産学連携における評価方法にも課題があるようです。大学の研究者が企業の方とコミュニケーションを取ることによって、企業の理念や方針に環境再生型の考え方が反映されたとしたら、共同研究やライセンスから得られる対価より、社会への影響力は大きいと考えられますが、このような形で大学の研究者が社会に及ぼす影響に関しては適切に評価されていません。
 地方自治体においても環境再生型農業の実現への課題があります。2024年9月の時点で、全国の1122の自治体がゼロカーボン宣言をしています。しかし、それぞれの地域でどのような目標があり、どのような実績が上がったのかを評価している自治体は少ないようです。環境負荷の少ない農業を行うことへ、自治体が制度的にフォローアップすれば、環境再生型農業の実現に向けた後押しとなるはずです。
 産業界、大学、自治体それぞれに課題がありますが、地球環境の再生のためにやるべきことを自覚し、行動していけば、消費者の意識を変え、農産物を取り巻く新たな流通の仕組みを創り上げることが可能になると、内田准教授は期待しています。

地域の利点を活かす農業コミュニティ
―地域の特性を見極める―

 環境再生型農業のための新たな流通の仕組みを創る上で、もう一つ大切な視点は、その地域のこれまでのシステムを活かすことだと内田准教授は考えています。
 カナダでは、農業が超大規模で、穀物農家は1軒あたり平均1200ha、広いところでは5000 haにもなります。そうであれば、アメリカの企業「ウォルマート」のような大企業は、農家から直接買い付けられるので、企業の利益率は40%といった高い値になります。そのため、利益の一部を環境再生型農業に投資することは難しくはありません。 
 2023年には、ウォルマートはペプシコと共同で、土壌の健全性と水質を改善する再生可能農業の導入に対し1億2,000万ドルの投資計画を発表しました。マクドナルドでも再生型栽培推進のために、イギリスのジャガイモ生産農家に100万ユーロの投資をしています。日本の場合、生産者、共同組合(集出荷業者)、荷受卸売業者、仲卸・問屋業者、小売業者と流通の段階が多く、利益が分散するため、どの段階も薄利で経営しています。ギリギリの状態だけど、みんながなんとか幸せに暮らそうとしているシステムの中で、環境再生型農業に投資をするためには、みんなが少しずつ投資しなければなりません。そして地域レベルで知恵を出し合い、環境負荷が少ないことを最大の売りにしながら、農産物を生産することが、最良の方法だと内田准教授はいいます。
 例えば、北海道の浜中町の農協では「多様な生きものが共存できる環境を維持・復元・創出することで、継続的に高い安全性を持った高品質な牛乳の生産基地をめざす」ことを宣言しています。実際に内田准教授は農家を1軒1軒インタビュー調査して、環境負荷を評価し、その結果を取引先のタカナシ乳業やその生乳を使っているハーゲンダッツ・ジャパンに伝えています。これをきっかけに、消費者に商品の価値を伝えてもらうことができれば、社会全体で環境再生型農業の理解が高まることにつながるはずです。
 オーストラリアやニュージーランドのような効率的農業ではなく、経営のノウハウも伝え合える農協のような農業コミュニティを活かす方が、日本で環境再生型農業を進めていくのには、相応しいと内田准教授は考えています。

環境再生型農業実現のための大学のミッション
―フィールドから学び、フィールドに還元する―

 環境再生型農業の実現のためには、農業に関するさまざまなデータを分析して、栄養素循環の視点から、目指すべき道を発信することが大学のミッションだと内田准教授はいいます。
 日本における環境再生型農業の実現には、農業の方法においても、まだまだ課題があります。その大きな要因の一つは、畜産に使う土地が狭く効率が悪いことです。小さい農家の中には家畜の糞尿を管理しきれず、一部が処理されないまま川に流れてしまうこともあるようです。また、集めた糞尿を専門の工場に出してペレット化する方法がよく取られており、ペレット化した肥料は化学肥料のように手軽に扱えますが、その過程で大量のエネルギーが必要となります。いずれにせよ、農地をモニタリングして得た環境負荷に関するデータを分析し、一つ一つ丁寧に評価して本質的な解決案を提示することが重要です。
 研究者はこういった調査分析が得意です。地球全体にとって何が良いのかといった視点での評価を社会に報告するべきです。具体的には、まず評価結果を示して、環境再生型農業の意義を民間企業に理解してもらう。その上で、社会的にも環境再生型農業が求められていることを自治体や農協に説明し、環境再生型農業の仕組みを創りあげていくことになります。地球規模の栄養素循環を考えた農業を示すことが、大学の役割だと考え、内田准教授は研究を続けます。

北海道大学創基150周年特設サイト
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