原田三夫の予科入学
札幌農学校に憧れて
原田三夫(1890-1977、科学評論家)は、愛知県名古屋市に三人兄弟の末子として生まれた。 愛知県立第一中学校に入学し、植物、地学、文学、絵画を好んだ原田は、理科教師の松原愛治郎からしばしば札幌農学校の紹介を聞いた。美しい環境、師弟のこまやかな情愛、輩出した人格者などの話は、大変魅力的であった。「松原先生は、同校は農学校といっても、何でも好きな研究ができるといったが、それならば私の好む植物の研究もできると思った」という。志賀重昻(札幌農学校第4期生、思想家)の論説にも影響をうけ、札幌農学校への入学を決意した。
東京会場での受験
中学校を1907年3月に卒業した原田は、7月15日朝、東京市浅草区にあった東京高等工業学校の大講堂前にいた。入口には「札幌農学校入学試験場」と大きく書いた紙が貼られていた。1907年の入学試験は7月15日から4日間、札幌と東京の2ヵ所で実施された。
札幌農学校は同年9月1日付で東北帝国大学農科大学に昇格することが決まっており、この試験は、高等学校相当の「大学予科」への入学者を選抜するものであった。「だから、志願者は例年のように少なくはなかった。募集人員百人に対し、志願者が五百人ぐらいあったことを、のちに知った」と、原田は記す。
―続きは、北海道大学150年史編集ニュース第6号(2021年2月発行) をご覧ください。

資料提供:北海道大学大学文書館
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