有島武郎(1878-1923、作家)は、札幌農学校が大学昇格を果たした東北帝国大学農科大学に1907年12月から1917年3月まで在職し、「大学予科」で英語の講義を担当した。その姿を、1907年に入学した原田三夫の回想からうかがう。
有島先生が赴任すると、英語の授業も、[有島]先生…に代った……それから通算二年間私は先生の講義を聞いたが、その中で、カーライルの博物館を訪れた話、詩の講義をするときに英詩の作りかたの規則を教わったこと…などを、切れ切れに思いだす。…二年になってからであったか、有島先生はホイットマンの詩や、ユーゴーのレ・ミゼラブルの一節を、こんにゃく版で印刷して生徒に渡して講義をした。
有島による講義は、テキストとした洋書を翻訳する形式で進められた。「英文の和訳をのべるときには、一言ごとにフン、フンとうなずくので、私[原田]も思わず熱が入った」という。 有島の日記には、「青年に対して授業する時のみは我は我が力の大部分を暴露し得るなり」(「観想録」第12巻、1908年1月21日の条。以下、有島の日記は同巻から引用)と、講義に注力するさまが綴られている。特に詩人のW.ホイットマン(W.Whitman、1819-1892)を扱うことについては、「予科の学生にホイットマンの真価を紹介するつもりだ。日本の教室で彼が紹介されるのは、恐らくこれが初めてだろう。学生達に『開拓者よ!おお、開拓者よ!』(“Pioneers! O Pioneers!”)を紹介しよう」(1908年3月11日の条)と意気込みをみせている。

―続きは、北海道大学150年史編集ニュース第7号(2021年9月発行) をご覧ください。
資料提供:北海道大学大学文書館
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