研究者インタビュー05
准教授 佐藤 昌直

2025-02-21
  • 研究者インタビュー

カイコと創る未来の物質生産工場

北海道大学 大学院農学研究院 基盤研究部門 応用生命科学分野 応用分子昆虫学研究室
准教授 佐藤 昌直

 シルクを作ることで知られているカイコですが、カイコ自身によるタンパク質生産だけではなく、実は、バキュロウイルスというカイコに感染するウイルスを利用することで、様々なタンパク質を大量に合成できる物質生産工場としての活用が注目されています。
 特に、ワクチンをはじめとする医薬品の開発や生産において、カイコとバキュロウイルスが活躍すると期待されています。しかも、カイコを用いた物質生産システムは、従来のシステムより格段に環境負荷が小さいといいます。
 コンピューター上でカイコとバキュロウイルスのDNA配列を設計し、有用なタンパク質の生産を目指す佐藤准教授に、医薬品メーカーも注目するカイコによる物質生産システムの利点と課題をお聞きしました。

カイコ‐バキュロウイルス物質生産システム
―様々な病原体に対抗するために―

 新型コロナの事例を出すまでもなく、人類は様々な病原体と闘ってきました。
 ヒトだけでなく、家畜やペットなどの動物も、常に感染症の危険に晒されています。その病原体である細菌やウイルスなどの種類は非常に多く、ヒトに感染するウイルスだけでも400種以上見つかっています。さらに、それぞれの病原体は、かなりのスピードで進化しています。人類は、感染を予防するためのワクチンや治療薬を開発してきましたが、グローバルに人・モノが動く現在では、新規病原体感染が広まる可能性が高まっています。そこで、もっと効率的で、病原体の進化のスピードにも対抗できる予測的な医薬品開発システムが求められています。
 佐藤准教授が注目しているのが、カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムです。バキュロウイルスは、昆虫などの節足動物に感染するウイルスです。このバキュロウイルスを用いたシステムの仕組みは、ワクチンなどの生産したいタンパク質の遺伝子をウイルスのゲノムに組み込み、その遺伝子組換えウイルスをカイコに感染させることにより、カイコの体内で目的とするタンパク質を生産するというものです。この遺伝子組換えウイルスは、カイコの側からすると病原体ですが、利用する人間の側からは、「ものづくり」をカイコにさせる、ある種のプログラムといえます。
 このプログラムをうまく改変し、さらには設計できるようになれば、カイコのポテンシャル、バキュロウイルスのポテンシャルを引き出すことができ、ヒトだけでなく家畜やペットなどの動物に対するワクチンや治療薬を数多く作り出すことが可能になると佐藤准教授は考えています。

環境低負荷型の物質生産工場
―環境への負荷を減らして、持続可能な未来を目指すー

 カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムには多くの利点があります。
 第一に、生産性が高いのが特徴です。カイコは卵から孵化して60日ほどで一生を終えるため、2ヶ月以内に物質生産を開始することができます。そして、豚のウイルスに対するワクチンの例では、カイコ1頭で豚千頭分のワクチンが生産されることが報告されています。この場合、培養細胞であれば2リットルのタンクを必要とするタンパク質生産を、カイコであれば10匹で賄えるということになります。
 第二に、多くの種類のタンパク質を同時に作ることができます。大腸菌や酵母のような微生物あるいは培養細胞にタンパク質を作らせようとすると、それぞれのタンパク質ごとにタンクのような特別な設備が必要です。しかし、カイコは1頭が1つのタンクの働きをしているため、それぞれに異なるタンパク質の遺伝子を組み込んだバキュロウイルスを感染させれば、複数のタンパク質を同時に作ることができます。そのため、多数のタンパク質の試験が必要となるような、新規薬のスクリーニング用、新規機能タンパク質の試験生産用、あるいは動物への投与実験用など、研究目的で多くの種類のタンパク質を生産したい場面では、特に使いやすいシステムです。カイコは完全に家畜化された昆虫で、直径1メートルのザルの上の桑の葉で500匹は飼育でき、飼育施設にコンパクトに収まります。
  第三に、環境負荷を低く抑えることができます。微生物や培養細胞を培養する場合、培養液などの廃棄物が大量に出てしまいます。また、培養細胞の場合は牛胎児血清を使う場合が多いため、投入する資源は、さらに多くなってしまいます。一方、カイコの生育に必要なのは、餌である桑だけなので、環境負荷は相当に小さいことが報告されています。
 このように、カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムは、既存の方法と比べて、多種多様なタンパク質をコンパクトな施設で迅速に大量生産でき、環境に負荷の少ないシステムとなっています。

未来の農業を創造する「生物の理解」
―作る前に予測して準備をするー

 カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムはとても便利ですが、さらに効率よく目的の物質を生産するために、もっと細かいレベルで生物を理解したいと佐藤准教授は考えています。
 佐藤准教授の考える「理解」とは、自分が実験していない状況を予測できること、言い換えれば、予測できるだけのデータとモデルを作ることです。
 例えば、ある系統のカイコに遺伝子操作をしたウイルスを感染させて、4日後にはウイルスがどのくらい増えるか、目的のタンパク質をどの程度生産できるかを予測できることがこの定義の理解に当てはまります。観察した範囲の情報から、まだ観察していない現象を予測できれば、正しいモデルを作れている、つまり正しく理解しているということになります。この理解を突き詰めていくために、実験室でデータを取るとともに、コンピューターを使って研究を進めているそうです。
 ゆくゆくは、ウイルスの振る舞いを理解することができ、理解することでウイルスを設計・制御できると考えています。そうなれば、宇宙でどうやってワクチンを作るかなど、遺伝子組換えウイルスを、地球外も含めてある環境に持ち込んだ時に、こういう設計・管理をすれば外には絶対漏れないとか、どのくらいの量の物質を作れるかという予測ができるようになります。
 このようなレベルで生物を理解することが、さらなる応用に繋がるものと佐藤准教授は考えています。

古くて新しい養蚕の未来
―カイコ2.0と社会実装を目指してー

 バキュロウイルスの宿主となるカイコについても、佐藤准教授は同様に理解したいと考えています。カイコは人間によって家畜化された生物で、その飼育のノウハウが日本に蓄積しており、「モデル化」するための良い生物です。しかし、産業生物としてのカイコの状況は良くありません。かつてカイコは日本の経済を支える重要な農業生物で、1929年には養蚕農家が221万戸あり、シルクの生産は日本の主要な産業を担っていました。しかし、2023年には146戸にまで減少しています。札幌市でも、桑園駅周辺では桑が栽培され、養蚕の基盤である桑畑「桑園」がありましたが、現在は北大で研究と教育用でカイコを飼育しているだけになっています。
 ワクチン等の有益な物質をカイコ‐バキュロウイルス物質生産システムを用いて作るためには、養蚕農家が持つカイコの飼育技術を継承しなければなりません。また、その継承意義を高めるためには、カイコを産業的にも魅力的な生物に返り咲かせる必要があります。カイコは元々野外に飛んでいる蛾を養蚕のために家畜化したものです。言わば人類のための工場となるように品種改良されており、もはや人が飼育しないと生きていけなくなっています。そのため、万が一、野生環境に逃げ出したとしても野生動植物に影響を与えないと考えられており、日本では、唯一農家レベルで飼育しても良い遺伝子組換え生物となっています。この利点を活かすと、農業としてワクチン等の有益な物質を作ることが可能になりますし、シミュレーションによって行動・生活環・生産性を予測・設計できる生物にできれば、応用だけではなく、養蚕の下地がある日本ならではの基礎研究として世界と競争できると佐藤准教授は考えています。佐藤准教授は、このように養蚕業の中で物質生産を担うことができるように作られた設計可能な新しいカイコをカイコ2.0と呼び、次世代型養蚕業は、このカイコ2.0を農家だけではなく、企業も主導して生産する形にしていく必要があると考えています。

 また、カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムは、タンパク質であれば大概のものは作ることができる魅力があります。未知のタンパク質であっても、対応する塩基配列さえ決めてしまえば、作ることが可能です。この魅力を産業に発展させていくためにも北大の総合大学としての強みを佐藤准教授は活かせると北大での研究環境に期待しています。ワクチンは分かりやすい活用例ですが、再生医療に使うタンパク質でも、エネルギー分野などで活用されるバイオマスを分解するための酵素でも、食品としてでも、タンパク質が必要であれば、このシステムを活用できると考えられます。北大には多様な分野の研究者がいるので、カイコ‐バキュロウイルス物質生産システムのさらなる活用の場を開拓するための共同研究が北大内で可能であり、様々な形で社会実装を目指すことができると佐藤准教授は考えています。
 養蚕業の未来も考えつつ、生命の理解という基礎研究に向き合っている佐藤准教授。その成果は多くの分野での活用が期待されます。

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